2009年12月5日土曜日

11/23(月)、木曽路を北上、上松で木曾駒ヶ岳の絵を描いた。


朝目覚めたら伊吹PAは靄っていた。

















ホントに晴れるかんかいなと疑いながら信州伊那谷に向けて出発。昨晩の大渋滞が嘘のように空いている。一宮JCTから中央道入り。中津川に近づいたとき気が変わり木曽谷に入ることに。大桑村の道の駅に来たら、木曽山脈の南端が見えてきた。

































今日目指す絵を描く地点は、上松の街から西に延びる谷筋にある。そこには僕の人物画の先生・八野田博氏がその師匠・小川琢二氏に引き連れられて絵を描きに行ったという絶好ポイントがあった。八野田先生の絵に描かれた風景を探索に行って現地で遂に発見したときのあの感激は忘れられない。しかし当時あった古風な納屋が今は取り壊されて跡地に新建材の住宅が建てられていて興醒め。右側に昔納屋があり、その納谷を右前景に大きく取り込む構図で小川琢二も八野田先生も絵をものした。実は僕もその構図で一枚描いたことがある。

















小川琢二の好んだ古い納屋がなくなったので、僕はこの地点からもう少し上流に行って絵になる所を探索した。



















































次の絵は13:30~15:30の二時間で描いたもの。二時間で描くにはちょっと無理のある大きな構図。構図的にも失敗している。















19:11妻宛のメール。今、ルートイン塩尻北に入った。流浪の旅を延長することにしたので、今晩は帰らない。戻って来なくても事故を起こしたわけではないので心配せぬようにf(-_-;)。多分こうなったら週末まで帰らない。さっきまで木曽路の幾つかの道の駅で野宿を試みていたんだが、野宿するかどうか決めるために僕が真っ先にやることは、インターネット・eメールに繋がるかどうか確かめる。木曽路は寂しい所だねぇ、日義・奈良井・楢川の各道の駅は反応なし、これでは仕事にならず単なる野宿でバカバカしい。権兵衛トンネルを潜って伊那谷に出ても、あっちには道の駅が殆どない。仕方なくここまで来たという訳。これから湯船に浸かって髯でも剃るわf(^_^;)。それでは御免なすって(^O^)/

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