2012年3月19日月曜日
〇3/19(月)好天。河内長野市に「金剛寺」、高野山「天野の里」に西行の妻娘の悲しい故事を訪ねた。
今朝は目覚めた時から全天ほのかな青空で気候も温暖。一日それで持った。天気が好いと気分も巡り合わせも何もかも良くなる。今朝も早めに出立して斑鳩・王寺から生駒山系と葛城山系の狭間を縫って南河内に出た。目指すは「金剛寺」。古刹。中世・南北朝争乱期には天皇・上皇の行在所になった。全国区的にはそれほど知名度はない。しかし探訪してみて不明を恥じることになる。格調の高さが頭抜けている。不思議なのは、南朝方の天皇の行在所があるのは当然として、北朝方の天皇の行在所もあること。太平記を読めば理解できるのかもしれないが、読んでない。境内の伽藍はほぼすべて重文。ただ残念なことに金堂が解体大修理中で景観が台無し。落慶するのは平成30年というから気が長い。ボクの余命は予定では尽きている。それからさらに南下して和泉市の山奥の施福寺(せふくじ)に行った。既に山上の本堂に上っているんだが、裏山から登ったので仁王門に巡り会っていない。それが癪なので表から登山してせめて仁王門まで登ろうという訳。仁王門に着いた時点でくたばったので本日はそこまでとすることにして下山した。今日のメインエベントはここから。金剛山系・和泉山脈葛城山を越えて紀ノ川・橋本に下り、紀ノ川を渡って高野山系に分け入って天上に開けた「天野(あまの)の里」に暫し遊んで西行の妻娘(さいし)の俤を慕おうという訳。訪ねてみると天野の里はまさに天空に浮かんだ桃源郷。村里の中の故事旧蹟は皆懇切に案内標示がなされていて、それに関する知識さえあれば見落とす惧れがない。ボクが巡り会えた名所旧蹟を列挙すると「丹生都比売(にゅうつひめ)神社←世界遺産に登録された」「六本杉に至る町石道(ちょういしどう)」「貧者の一燈・お照の墓」「横笛の塚」「鬼王の墓」「西行の妻娘の法夾印塔」「西行堂」「院の塚」(里では待賢門院の塚と伝承されているがそれは幾らなんでも違うだろう。院は皇后。院の右腕で中納言の局と呼ばれた女性がいたが、彼女は西行と彼が北面の武士だった頃からずっと親しかった。彼女の塚だろう)。西行関連で予定していた旧蹟にはすべて巡り会えた。西行堂を守るようにして傍にある家が「佐藤酒店」。西行の本名は「佐藤教清(のりきよ)」。単なる偶然か。西行の家は紀ノ川沿いに荘園を持つ豪族だった。高野山で永い間修行をした西行に対し近くの実家から仕送りがあったろう。高野山に居る西行の近くに身を寄せて天野の里に庵を結んだ妻と娘に対してもなにがしかの支援がなされたのではないか。「二つ鳥居」なるものを見たかったが、車の通わぬ峠にあることが分かったので断念。午後四時半、紀ノ川市にある「道の駅・紀ノ川万葉の里」に到着。ここは何度も泊まってインターネットに繋がること請合い。今夜はここで泊まることに。散歩したら観光案内所に「二つ鳥居」の説明写真が掲示してあった。早速デジカメを持ち出してパクッた。天気が良いと廻り合わせも好くなる。(^.^)/~~~
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