吉野山に入るのはこれで三度目でないか。今回は↓この蔵王権現御開帳を見るためにやってきた。↓以前奈良で手にした御開帳案内パンフ
↓これもそう。
↓ここは中千本の桜の名所。蔵王堂の大屋根が右側に見える。
↓桜の蕾はまだまだ固い。
ヒヨドリかな。
↓黒門
銅鳥居。ここまで来ると金峯山寺・仁王門は近い。
↓金峯山寺・仁王門。国宝。高台に建つので威圧感がある。
↓仁王門を振り返り見る。
↓蔵王堂。国宝。金峯山寺は修験道根本道場・「金峯山修験本宗」総本山。修験者・山伏の根本道場なのだ。明治維新政府は修験道を禁止した。神仏分離を徹底し、廃仏毀釈の暴風に火を点けた維新政府の目から見れば、神も仏も所詮同じと吹聴して回る修験道は許し難かった。戦後の新憲法で信教の自由が保障され修験道も自由の身となったが、明治以来蒙ってきた艱難辛苦は大きな禍根を残している。
↓秘仏・重要文化財「蔵王権現像」。中尊像は728cmもある。神仏一体の本地垂迹説で三体の権現像の本地仏が説明される。中央は釈迦如来の化身、向かって右は千手観音菩薩の化身、左は弥勒菩薩の化身だそう。一見すると三個の巨大な厨子があってそれぞれの厨子の中に権現像が一体ずつ納まっているように見えるがそうではない。扉の奥は一つの空間が広がっている。権現像が安置されている空間と手前の内陣を仕切っているのは太い円柱列と円柱間を塞いでいる観音扉なのだ。
↓蔵王堂の裏側に回ると重文彫刻が何体かある。その一つ、蔵王権現像。本尊の三体は単純化・様式化されているが、この像はリアルさに富んでいる。元は別の廃寺となった寺のお堂にあった。
↓童子像・重文。普建・普成像だと言われているが、異説もある。二体とも元はミズラ(古代の髪型)の頭をしていた。
↓金峯山寺らしいのはこの本地堂。蔵王堂の真後ろに建てられているが、一般参詣者には見えないし行けないお堂。
↓本地堂の本尊。蔵王権現像三体に対応している。権現像それぞれの本地仏。向かって左から「弥勒菩薩像」「釈迦如来像」「千手観音菩薩像」。お堂も仏像も新しい。
↓蔵王堂の前正面に「大塔宮・御陣跡」がある。後醍醐天皇の皇子・大塔宮が鎌倉幕府・北条執権政府打倒の兵を挙げた所。
↓天満宮
↓観音堂
観音堂本尊・十一面観音立像
↓愛染堂
愛染明王坐像
鐘楼
↓仁王門の反対側・吉野山上の旅館商店街に向かって開けた出入口。
吾輩は蔵王堂に到着した時点で低血糖症状に陥り体調・気分が不良で実のところ蔵王権現像を参拝する念願を成就したのに感動は薄かった。残念だった。この後さらに山谷を越えて如意輪寺まで足を伸ばして無理をしたので完全に健康を害した。週明け当初は死んだも同然の日を過ごした。
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