西教寺は、聖徳太子が仏法の師である慧慈・慧聡のために開創された寺。天智天皇8年(669)に「西教寺」の号を下賜されたと伝えられる。寺記によると、天台座主慧恵大師良源大僧正・恵心僧都が念仏道場としたが、その後比叡山で修業された真盛上人が1486年入寺し不断念仏の根本道場として西教寺を再興されたとある。明治11年(1878)天台宗から独立し「天台宗真盛派」の本山となった。
↓ 総門
参道の紅葉の美しさは天下一品。
参道を真っ直ぐ進むとやがて勅使門に行き当たる。
勅使門の左手に宗祖大師殿がある。天台宗真盛派宗祖・真盛上人の木造が祀られている。
宗祖大師殿から眺めた風景。参道の紅葉の先に琵琶湖の水面が拡がっている。
大師殿・唐門
大師殿・本堂
勅使門、大師殿前。
大師殿横から本堂境内への石段を昇る。
本堂・重文
本堂の本尊は丈六・阿弥陀如来像・重文。
客殿・重文。本堂の裏にある。
宗祖・真盛上人の御廟へ至る石段。
御廟は宝形造り。御堂の中に真盛上人の御墓・五輪塔が安置されている。
この石段を昇ると明智光秀とその一族の墓がある。光秀は信長の命により天台宗総本山比叡山延暦寺を焼打ちし僧・女・子供の皆殺しに加わった。西教寺をはじめ近江一円の天台宗寺院も焼打ちされた。その後光秀は信長から湖西・坂本を領地として与えられ坂本城を築城したが、西教寺の再興にも努めこの寺を手厚く保護した。光秀は本能寺の変のあと秀吉に滅ぼされたが、その遺骸は一族の遺骸と共にここに葬られたという。西教寺では毎年光秀忌が行われているそう。
戻り。
総門に着いた。
総門を出ると、道を挟んで向かいに「忠霊堂」「弁天堂」「聖天堂・歓喜天」のある別境内がある。
弁天堂
聖天堂
忠霊堂
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