2012年11月3日土曜日
〇11/3(土、文化の日)京都市「六波羅蜜寺」で秘仏「国宝・十一面観音立像」を拝観したようなしないような。「京都御所」はきっちり拝観。
七尾発、朝六時四十分。これでは京都市東山七条・豊国廟の駐車場に入るのは昼過ぎになる。そうなった。松原通り近くの「六波羅蜜寺」まで歩いた。秘仏「国宝・十一面館の立像」の十二年に一度・辰年の御開帳にあやかろうという善男善女が押し寄せていた。連休初日の文化の日という巡り合わせも人波に影響していた。とても観音像に近づけそうになかった。少し近づいてほぼ全貌を観ることができたところで切り上げて本堂を出た。感想。巨大と謂われていたが、それほどでもなかった。金箔は思いの外残っていた(胴体は鉛色に見えた)。顎の輪郭は四角く見えた。目は優しかった。感動は全くなかった。あの人混みでは感動しろというのが無理。六波羅から丸太町通りと今出川通りの間に位置する「京都御所」に向かって歩いた。距離は十分にあった。寺町通りを北上して行ったら思いがけない寺を見い出した。本能寺。講堂・方丈などは現代建築。本堂の裏に「信長廟」があった。本能寺の変の当時の寺はここにはなかった。戦国時代の本能寺は巨大な城郭だった。現代の本能寺にはその面影は片鱗もない。革堂(こうどう、西国33箇所観音札所霊場の一つ)も、下御霊神社も以前訪れた時と全く変わらず寺町通りにあった。「京都御所」は京都御苑全体の大きさに占める割合は意外と小さい。十数分の一ほどか。仙洞御所・大宮御所はさらに小さい。しかし入ってみると、これが想像よりもずっとずっとデカイ。紫宸殿・小御所その他全部で7、8棟の建物を観て周ったが、その立派で大きいことに感心させられた。今でも皇居たり得る。江戸城のあの濠に囲まれた防禦力はないが。ところで法隆寺・夢殿の扉が開けられているという。多分「救世観音立像」は開帳されている。それで明日は奈良市斑鳩の法隆寺・夢殿を訪ねる。連休二日目の日曜日なので観光客が夢殿に殺到するに違いない。今日の六波羅蜜寺の轍を踏まないために明朝は一番に駆けつけるつもり。それで午後7時に奈良の入口「木津休憩所・緑の一里塚」に滑り込んだ。今夜はここで泊まる。ここに泊まるのは3度目位。今インターネット接続はダイヤルアップ接続で、これでは送信容量が少量過ぎて編集が大変なので写真をブログアップするのは家に帰ってからにします。(^.^)/~~~
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