2013年3月16日土曜日

〇今年も春耕の季節が巡って来たが‥‥

川の土手道を行く。春陽の来復を感じさせる日。土手横の畑の中に今年も農耕に勤しむ人影が。それが見かけぬ老農婦。例年現れるのは老農夫なのだが。ひょっとしたらと思ってボクはおばあちゃんに大声で訊いた。「おじいちゃんはどうされたんですかぁ」。老農婦の答え「おじいちゃんは亡くなったんですよ。畑に精を出した人だったのに」。予感が当たり言う言葉もなくボクは黙って深く頭を下げてその場を去った。80歳を優に超したおじいちゃんだった。この地に越して来てから20年来、ボクはそのおじいちゃんが春になると土筆(つくし)が顔を出すように畑に姿を現すのを心待ちにして冬を過ごしてきた。人は去って逝く。これを寂しいと思っては感傷になる。自分も必ず遠からず去って逝くことを自覚して生きていこう。土手をさらに行くと、川面をスレスレに上流に向けて一直線に飛び去る飛行物体があった。青い小さな稲妻。それはカワセミの青い背だった。今年初めて出逢ったカワセミ。春到来を感じた。そして微かな不安がボクの心をよぎった。カワセミがこの川から消え去る日が来るのでは‥‥。この川も土木工事の手が入り過ぎた。

2 件のコメント:

  1. ご縁があればきっと生まれ変わって、また会えると思いま~す。なんちゃって(o^―^o) 私は今度生まれ変わったら、虫でもクルマにひかれてしまう!タヌキでもいいと思ってます。それまでに幸せを感じられれば・・・(ё_ё)

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  2. pacificvenusさんは割り切れた気楽な考え方をしますねぇ。ボクは死後のことは考えません。死後の世界があるとはてんで信じません。生命は、人間も・虫も・狸も、原子分子のひと時の動的平衡状態に過ぎないと思っています。動的平衡が崩れたら、それが死。そして熱力学第二法則によって混沌・無秩序=死は必ずやってくる。そんな男が何故神社仏閣を訪ね歩くのか。それは、古今人間が如何なる思想で如何にして生きたものかを探究するため。それが何になるのかとなると、何にもなりません。ただボクはそのようにして生きようとして・生きたというだけのこと。

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