2013年6月17日月曜日

〇6/16(日)快晴。清州市「清洲城」、名古屋市「大須観音」、犬山市「大縣神社」探訪。

〇愛西市「道の駅・立田ふれあいの里」で早朝六時半起床。既に暑気を感じた。午前八時過ぎ、名古屋の西方・清州市の「清洲城」に到着。織田信長の天下布武の覇業は、この清洲城で尾張半国(西部)の領主の地位を相続することから始まった。桶狭間に出撃したのもこの清洲城からだった。ボクは、信長の覇業が始まった清州の現地を踏んでおきたかった。現地では水量豊かな五條川が天然の防禦線をなしていた。この川から水を引き込まれた濠が、清洲城を防護していた。信長が活躍した当時存在しなかった天守閣が築城され朝の陽光に輝いていた。天守閣は五條川の東側に建っていたが、往時の清洲城は五條川の西側にあった。城址の一部が緑の公園になって残されている。信長は、清洲城から美濃攻めのため小牧城に進出し、美濃を取って岐阜城に本拠を移し、さらに近江の安土城を築く。名古屋市内の名護屋城は徳川時代に築かれたもので・信長と無関係。清洲城の石垣・材木は根こそぎ名護屋城の資材に回された。清洲城の全容・仔細は今となっては分らないのが実情。次に探訪したのが名古屋市内の「大須観音」。今回は一発で到達。前回走り回って結局到達できなかったのが不思議。門前町が立派。観音霊場としての趣きはない。派手なことでは出色。下道を北上して帰路に就いた。美濃加茂ICから自動車道に入ろうとしていたら犬山市で「大縣神社」が式内大社と自称してゆかしそうだったので探訪した。大体想定通りの神社。あとは一目散に東海北陸道・能越道を辿って帰って来た。七尾着・午後五時過ぎ。女房は信州・松本市までひとっ走りしてきたらしく機嫌が好かった。おばあちゃんも元気。

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