〇鬼無里村から白水峠を越えて白馬村神城三日市場に下りてきた。頭頂部を冠雪した白馬連峰が見えた。
「神明社」を発見するのは二(ふた)苦労だった。カーナビに表示がなければ、道路に案内もない。もう勘だけが頼り。その勘も当たらない。失敗を重ねた末に、もうあの山裾辺りの森しかないと絞りをかけて探訪してみると・やっと当たった。石碑に「重要文化財・神明社」と刻字されている。参道坂道を登ると、神木が雷に撃たれて朽ち果て・根株の残骸だけを晒していた。
↓右から拝殿、廊下、そして本殿・覆い屋。
拝殿
↓拝殿
↓拝殿と本殿覆い屋の一部。
覆い屋
↓神明社本殿と諏訪社本殿が重文に指定されたのは、以下の「棟札」が残っていたればこそ。
↓神明社本殿の写真。小さくて至って簡素な社殿。
↓棟札により、再興造営されたのが天正12年(1588)、大工は「仁科の宗大工周防の守」であることが判然。仁科の大工とは、国宝・仁科神明宮を手掛ける大工の棟梁のことだろう。
↓八幡社には棟札がない。∴文化財としての価値が確定されない。
以下、掛け仏。
最後にもう一度本殿覆い屋を撮影。
↓末社の覆い屋。中に小さな末社の社殿が幾つも納まっている。〇これで今回の旅の目的は遂げた。あとは一目散に姫川沿いに下って日本海・糸魚川に出て、七尾に戻った。そして午後七時、セレナが無事お勤めを果たしてボクを自宅車庫に降ろしてくれた時、ボクの落ち度でセレナを壊した。重症。ボクはもう旅に出る人生の終焉を覚悟した。
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