〇三連休初日・土曜日、七尾を出遅れたので・伊那谷探訪どころではなくなって、ひたすら下伊那郡・奥三河の山越えをして浜松を目指すことに。ところが・旅の神様はボクの味方なのか、重文が向こうからボクを招き寄せてくれた。その第一陣が「大山田神社」。下伊那郡下條村の国道151号線を走っていたときのこと。小さい案内標示が目に入った。数百m行き過ぎた所で思い返して引き返した。ここで遭っておかなければ・生涯の悔いになる←これが・ボクの反省するときのお呪いの言葉。
↓大山田神社はややこしい所にあったが、とにかく辿り着いた。杉並木のその先に・一の鳥居が見えているのが分かりますか。
↓急な石段参道を昇って来ると・二の鳥居がある。さらに進むと・一段高くなって、
↓境内が開ける。
さらに一段高くなったところに・拝殿と本殿がある。但し、本殿は「覆い屋」の中にあって見えない。
↓拝殿と覆い屋
↓覆い屋を側面から見る。
↓神木の大杉
拝殿
拝殿の奥が覆い屋。この建物の中に神社の本殿が三棟・納まっている。
↓覆い屋。左側の掲額には「八郎御神」と認めてある、多分。
↓覆い屋・右側の掲額には、右に「大山田神社」・左に「八幡宮」と並べて認められている。
以下、覆い屋の前面格子戸の隙間にレンズを当てて撮影したもの。
↓これは右側の神社の本殿。大山田神社の本殿は真ん中にありそうに思えるので、これは・八幡宮の本殿かと思えるが、掲額の社名の並びからいうとその逆かもしれない。ここがはっきりしないと・どっちが重文なのか分らなくて、ボクとしては困る。というのは、大山田神社の本殿は重文ではないのだ。
右側の神社の本殿。
〇重文・八郎社本殿は江戸後期のものだが、重文・八幡宮本殿は室町後期のもの。その時代の本殿をよくぞ護持してきたものと、村人の崇敬心の篤さに感服させられる。
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