2014年1月28日火曜日

〇2013-5-9(木)石川県鹿島郡中能登町「石動山・伊須流伎比古(イスルギヒコ)神社」(一)

石動山←リンク
伊須流伎比古神社←リンク
↓石動山登山口に立つ石碑
石碑の傍にある二宮バス停。石動山頂の伊須流伎比古神社は能登二宮(因みに能登一宮は羽咋市・気多大社)。バス停から少し山側に行くと「天日陰(あまひかげ)神社」がある。この神社を能登二宮に比定する説もある。が、この神社は、伊須流伎比古神社の里宮的なものであろう。




 ↓最近復元された「大宮坊」

 復元された書院

 ↓大宮坊本堂の基礎遺跡

 ↓本堂遺跡の裏手にある証誠殿(しょうじょうでん)跡遺跡

 庭園跡。手前右が本堂跡。
 大宮坊の右手にある石段。
 ↓石動山資料館

 明治維新まで・山頂に神輿が五基あったそう。


 ↓伊須流伎比古神社入口石段

 ↓講堂跡
 鳥居を潜った広場に講堂があった。
 ↓鐘楼跡

 拝殿に向かう

 宝蔵堂か。
 イワシガ池・雨乞池・閼伽池
 雨乞所跡
 ↓拝殿。この建物は昔、五基の神輿を収蔵する神輿堂だったそう。それを移築した。
 礎石遺跡から見て、焼討に遭う前はひと回り大きな拝殿が建っていたらしい。
 「伊須流伎比古神社」
 ↓本殿。焼討に遭って全山焼亡した後・前田利家によつて山頂・大御前に建てられたお堂をここに本殿として移築したそう。



 ↓経蔵跡



 ↓大師堂跡



 ↓五重塔跡


 ↓多宝塔跡


 ↓籠り堂跡。修験者が峰回行の修行に入る前に籠って身を清めたお堂があった。

 ↓開山堂跡。役の行者を祀ってあったか・白山を開いた泰澄を祀ってあったか明らかでない。


 明治維新の廃仏毀釈の嵐の中、金130円で売却され、今は氷見市中田の道神社の拝殿となっている。
 ↓山頂へ


 ↓梅の宮跡

 左すれば、山頂・大御前。

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