2014年1月29日水曜日

〇2014-1-16、小野田寛郎さん(元日本陸軍少尉)が逝去。亨年91歳。忘れ得ぬ顔の一つ。

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小野田寛郎さんが亡くなった。91歳。肺炎という。その一生は実に希有。終戦後も29年間、マニラ湾沖の小島ルバング島でゲリラ戦を敢行し続けた。部下に赤津勇一一等兵・島田庄一伍長・小塚金七上等兵がいた。百数十回に及ぶ戦闘に出て、フィリピン警察・アメリカ軍・村民など約30名を殺傷。赤津一等兵が負傷して投降し、ルバング島に残留日本兵が存在していることが公になった(赤津一等兵は帰国を果たした)。その後、島田伍長が戦死し、小塚上等兵も戦死した。小野田少尉は孤独に苛まれることになった。その心の隙を衝いて小野田少尉と平穏裡に接触することに成功したのが、鈴木紀夫青年。不思議な青年だった。
↓戦ってきた軍人の顔つき・しぐさ・振る舞い。


















フィリピン当局に軍刀を差し出している。自発的武装解除ということだろう。
帰国の途に着くところか。
↓小塚金七上等兵。最後まで共に戦った部下。フィリピン警察の銃撃により戦死。
↓この青年が鈴木紀夫氏ではないか。彼はその後どんな人生を歩んだのだろうか。
↓晩年の小野田寛郎氏。笑顔が温和。




鈴木紀夫青年に心を許してジャングルを出た時が51歳。奇特な青年がルバング島に入り命を曝してキャンプを張らなければ、小野田寛郎氏はルバング島の密林に埋もれて土と化していた可能性が高い。それが劇的に日本に生還することになったのは、この人の運命というものだったろう。奇蹟の軍人・小野田寛郎少尉に敬礼ッ。そしてルバング島で人知れず散って逝った島田庄一伍長と小塚金七上等兵に最敬礼っ。帰国を果たした赤津勇一一等兵のその後の消息は杳として知れない。

1 件のコメント:

  1. 隆さんのこの文を読んだだけでも涙が出る。小野田さんには知性が感じられた。帰還後の生き方も素晴らしい。こういう生き方をする人はもう何処を探しても日本には居ないのだろうな・・

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