2014年5月25日日曜日

〇5/24(土)好天。奈良県吉野町《吉野宮》に向けて出発。

出発準備をして七尾を出たのが10:00。明日香村に着いたのが17:30。日が随分長くなったので、冬の旅ではできなかった芸当ができる。この時間帯で日暮れまでのひと時に大稼ぎした。壬申の乱の主役、大海人皇子とウノノサララ皇女、後の天武天皇と持統天皇の夫婦合奏陵を今日の内に探して参拝しておこうとして走り回り、ついでに多くの成果を得た。参拝した古墳・陵は次の通り。
①キトラ古墳
②高松塚古墳
③文武天皇陵
④天武・持統天皇陵
各古墳・陵については撮った写真を示しながら物語ることにするとして、天武・持統天皇陵に対する参拝を終えたのは19:00。夕闇が下りてきていた。今夜の野宿地の道の駅・大淀に急行。壺阪寺入り口を過ぎると直ぐに高取山のドテッ腹をくり抜いたトンネルがあり、それを潜ると道の駅は近い。  
文化庁は、高松塚古墳壁画に続いて、キトラ古墳壁画の現地保存にも完全に失敗。キトラ古墳は接近禁止処分中で、古墳の上に建てた建物を解体撤去し、古墳を原状に戻すらしい。空調施設一式を建物から取り出して敷地内に放り出してあった。惨憺たる有様。高松塚古墳の方は、壁画は別の施設に保存され、現地の古墳は復原されていた。高松塚古墳の近くに文武天皇陵があった。天武・持統天皇の孫・軽皇子が持統天皇の譲位により即位して文武天皇となった。天武・持統天皇陵に辿り着いたのは夕闇迫る中。

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