「農夫の家に一夜をかり(借り)て、明くれば又野中を行く。そこに、野飼(のがい)の馬あり。草刈るおのこ(男)になげき(嘆き)よれ(寄れ)ば、野夫(のぶ)といへども、さすがに情(なさけ)しらぬには非ず。「いかがすべきや。されども此の野は縦横にわかれて、うゐうゐ(初々)敷(しき)旅人の道ふみたがえん、あやしう侍れば、此の馬のとどまる所にて馬を返し給へ」と、かし(貸し)侍りぬ。ちい(小)さき者ふたり(二人)、馬の跡したひ(慕い)てはしる(走る)。独りは小姫にて、名を「かさね」と云う。聞きなれぬ名のやさしかりければ、
《かさねとは八重撫子(やえなでしこ)の名成(なる)べし》 曾良
頓(やが)て人里に至れば、あたひ(値)を鞍つぼに結び付けて、馬を返しぬ。」
芭蕉が乗り、曾良が口を取る馬の後を、小さい男の子と女の子が走って付いて来る。少女の名は「かさねちゃん」。その名も優しいが、その表情仕草がどれだけ可愛かったことか。可愛かったに違いない。それが証拠に芭蕉は筆を惜しまずこの少女との出逢いの場面を描写している。ボクには「かさねちゃん」がクッキリと見える。名場面だ。
この名場面が展開した所は、日光北街道の玉生宿と矢板宿の間辺りと推測する。ボクは那須野は山合の谷間にあるものと思い込んでいたが違った。広大な北関東の大平原だった。那須連山は遥か彼方に見える。
この名場面が展開した所は、日光北街道の玉生宿と矢板宿の間辺りと推測する。ボクは那須野は山合の谷間にあるものと思い込んでいたが違った。広大な北関東の大平原だった。那須連山は遥か彼方に見える。
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