〇奥の細道《すか川の駅に等窮といふものを尋ねて、四五日とゞめらる。先ず「白河の関いかにこえつるや」と問ふ。「長途のくるしみ、心身つかれ、且つは風景に魂うばゝれ、懐旧に腸(はらわた)を断ちて、はかばかしう思いめぐらさず。
風流の初(はじめ)やおくの田植うた
無下にこえんもさすがに」と語れば、脇・第三とつゞけて、一巻(の連句)となしぬ。》
その等窮の邸宅は本町にあった。それは広大な敷地を占めた。↓この辺りが邸宅の中心部だろうと推測した。等窮は豪商であるとともに須賀川宿の駅長(今で言えば市長の如きもの)でもあった。前回示した等窮小公園はこの向かい当たりにある。
↓「本町軒の栗通り」 奥の細道ゆかりの等窮の邸宅のあった地帯であることをこの表現で示している。等窮その他地元の俳人の句が軒端に掲げられている。
↓芭蕉の句も発見。
《住(すみ)かへる宿の柱の月を見よ 芭蕉》
↓等窮邸の庭に生えていたという金木犀の巨木〇この本町の一角に軒の栗庵・可伸庵があった。
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