〇「等窮小公園」に到着。セレナ君が居る。
「等窮」☚リンク
↑「元禄2年新暦の6月9日芭蕉とは等窮を訪ねて須賀川へ入りました。「奥の細道」の本文に《すか川の駅に等窮といふものを尋ねて、四五日とゞめらる」とあります。その等窮宅は、現、NTT須賀川の付近にありました。等窮は本名を相楽伊左衛門と言い問屋の仕事をしながら、その商業活動のために江戸へ度々出かけていました。その間に江戸での俳諧活動〇持たれ、芭蕉との関係が生まれました。等窮は奥州俳壇の宗匠としてその地位にあり、芭蕉に多くの情報を提供し、「みちのく歌枕の地」探訪の旅を助けました。
《風流の初めや奥の田植え歌》 芭蕉
「覆盆子(いちご)を折て我まうけ草」 等窮
「水せきて昼寝の石やなをすらん」 曾良
ここ、「軒の栗庭園」は、等窮の住む本町に芭蕉が逗留し
《世の人の見つけぬ花や軒の栗 芭蕉》
と詠まれたことから名付けられました。」
↓木の繁みの下に芭蕉と曾良の像が並んでいる。見えるかな。
↓芭蕉と曾良の像
こちらには「等窮」さんがきちんと正座して芭蕉と曾良をお出迎えしている。
等窮さん
↓芭蕉と曾良さん(手前)から見た等窮さん。左側奥に像が見えるんだが。
〇芭蕉と曾良は、等窮さんに歓待されて、須賀川宿で実のところ七泊八日を過ごすことになる。
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