2015年2月13日金曜日

〇芭蕉「奥の細道紀行」北陸路(20) 山中温泉

〇《奥の細道》には山中温泉でのことは単純化して書かれていてさほどのことはなかったかのように思われるがさにあらず。芭蕉はここで十日間ほど滞在している。北枝はずっと同伴し、曾良は山中温泉で芭蕉と別れて独り旅立つ。
〇《奥の細道》の記述。
《温泉(いでゆ)に浴す。その効有馬に次ぐと云う。
山中や菊はたをらぬ湯の匂ひ
 あるじとする者は、久米之助とて、いまだ小童也。かれが父、俳諧を好み、洛の貞室(貞徳門の俳諧師)、若輩のむかし、ここに来たりし比(ころ)、風雅に辱しめられて、洛に帰りて貞徳の門人となって、世にしらる。功名の後、此の一村、判詞の料(俳諧の点料)を請けずと云う。今更むかし物語とはなりぬ。
 曾良は腹を病みて、伊勢の国、長島と云う所にゆかりあれば、先立ちて旅立ち行くに、
行き行きてたふれ伏すとも萩の原  曾良
と書置きたり。行くものゝ悲しみ、残るものゝうらみ、隻ふ(せきふ・二羽のけり)わかれて雲にまよふがごとし。予も亦、
今日(けふ)よりや書付消さん笠の露 
曾良随行日記の記述
《27日(小松を立ち)晩 山中に申(さる)の下尅(げこく)、着く。泉屋久米之助方に宿す。‥》
《28日 快晴。夕方、薬師堂其の外町辺を見る。‥》
《29日 快晴。道明淵、予、往かず。》
《晦日 快晴。道明が淵
《8月朔日 快晴。黒谷橋へ行く。》
《2日 快晴。》
《3日 雨折々降る。‥》
《4日 朝、雨止む。‥》
《5日 朝曇り。昼時分、翁・北枝、那谷へ趣く。明日、小松に於いて、生駒万子の為会に出ずる也。従順して帰りて、即刻、立つ。大正侍(大聖寺)に趣く。全昌寺へ申(さる)刻着き、宿る。‥》
《6日 雨降る。滞留。未の刻、止む。菅生石(敷地と云う)天神(菅生石部神社)拝す。‥》
《7日 快晴。辰の中刻、全昌寺を立つ。‥‥》
 曾良は5日に芭蕉・北枝と別れて旅立ち大聖寺に向かい、その日に全昌寺に着いている。芭蕉らは那谷寺・小松に向かい、大聖寺・全昌寺に着いたのは8日頃と推定される(芭蕉は次の大聖寺・全昌寺の章で、「曾良も前の夜、此の寺に泊りて」と記している)。
〇山中温泉紀行は以上の話を前提にするのでかなり詳しく長くなる。
〇山中温泉に関する芭蕉句文を記しておく。
「北海の磯づたひして加州やまなかの涌湯(いでゆ)に浴ス。里人の曰く、このところは扶桑三の名湯の其の一なりと。まことに浴する事しばしばなれば、皮肉うるほひ、筋肉に通りて心神ゆるく、偏に顔色をとゞむるこゝちす。彼の桃原も舟をうしなひ、慈童が菊の枝折もしらず。
やまなかや菊はたおらじゆのにほひ はせを
   元禄二仲秋日 」

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