〇曾良随行日記の記述
《27日(小松を立ち)晩 山中に申(さる)の下尅(げこく)、着く。泉屋久米之助方に宿す。‥》
《28日 快晴。夕方、薬師堂其の外町辺を見る。‥》
↓「準別格本山・医王寺」(お薬師さん)
↓山中節の一節に「東や松山、西や薬師」と唄われているのが、この寺。
〇桃妖(泉屋久米之助)の墓。「山中温泉草創十二家中の湯宿「和泉屋」の主人長氏また長谷部氏とも云い幼名「久米之助」□□□左衛門と称した。芭蕉「奥の細道」行脚の途次山中温泉「和泉屋」に逗留。この時十四才の久米之助は芭蕉より「桃の木のその葉ちらすな秋の風」の一句とともに「桃妖」の号を贈られた。以来蕉風俳諧に通じ、加賀俳壇に名をなした。」
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