昨夜は「網走番外地」(初篇)、今夜は「緋牡丹博徒・花札勝負」(主演藤純子)を見た。高倉健追悼特集。藤純子のは昭和44年の作品というから、番外地初篇もその頃。ボクはその年・大学を卒業した。22才。当時見た高倉健・藤純子の映画は強烈な印象をボクに残していた。46年後に見直すと、その物語の単調さ、絵・技法の素朴さに驚かされる。こんな単純明快な映画が熱烈に歓迎されていた時代が確かにあったのだ。あの時代、マルキシズムが一世を風靡し・全共闘なる学生運動が猖獗を極め・進歩的文化人がしたり顔で跋扈していた。何を隠そう、このボクも当時マルキシズムにかぶれていた。マルキシズムは真理認識の唯一の体系の如く思われていた。虚妄だった。階級闘争・進歩・共産社会‥すべてが言葉によって生み出された幻想だった。言葉によって掘り当てられる文脈・言葉によって構築される構造は、すべて虚妄の魔性を帯びる。脳を言葉の跳梁の下に置いてはならない。沈黙すべき時には脳は黙らねばならぬ。
特筆ものだが、緋牡丹博徒の主題歌、歌手は藤純子だろうが、それが見事なほど音痴。あれも時代か。
2015年2月10日火曜日
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