〇道の駅・河野で目覚めたら八時前。河野は越前市に入り込んでいた。敦賀市街に戻り、早速探訪再開。芭蕉の旅宿跡・色が浜行の舟を仕立ててくれた船問屋跡など四か所を探訪。そして奇跡的に四か所とも探り当てた。特に旅宿跡と船問屋跡は小さな石碑が各一本人知れず立っているだけ。そこに立ってみて芭蕉が敦賀に来てそこで寸時を過ごしたときのことをまざまざと想像してみて楽しかった。あとは鐘塚と気比の松原。小雨模様の中。北陸自動車道に乗り一気に大垣へ。
〇大垣に入り、奥の細道結びの地はすぐに見つかった。以前大垣城を探訪したことがあり、結びの地はその近くにあることを学んでいたことも寄与した。大垣で芭蕉を迎えたのは木閑(ぼくかん)という俳人だが二人の銅像が水道川の土手に立っていた。水道川には今も船着き場があり、そこから芭蕉は伊勢神宮の遷宮を拝見に旅立った、再会した曾良や木閑に見送られて。《蛤のふたみに別れてゆく秋ぞ》の場面。最後に美濃赤坂の石灰山の山頂にある「明星輪寺」の芭蕉句碑にお目にかかって東海北陸道を伝って帰ってきた。七尾着、六時半。大垣の全行程は雨に祟られた。寒かった。全通した氷見道を始めて走った。
2015年3月29日日曜日
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