2015年4月12日日曜日

〇芭蕉「奥の細道紀行」北陸路(43) 大垣《奥の細道むすびの地》《蛤のふたみにわかれ行秋ぞ》

〇奥の細道《露通(蕉門)も此みなと(敦賀)まで出むかひて、みのゝ国へて伴ふ。駒にたすけられて大垣の庄に入ば、曾良も伊勢より来り合、越人(名古屋蕉門)も馬をとばせて、如行(蕉門)が家に入集る。前川子(蕉門)・荊口父子(共に蕉門)、其外したしき人々日夜とぶらひて、蘇生のものにあふがごとく、且悦び、且いたはる。旅の物うさもいまだやまざるに、長月六日になれば、伊勢の遷宮おがまんと、又舟にのりて、
蛤のふたみにわかれ行秋ぞ
「奥の細道むすびの地記念碑」
↓「奥の細道むすびの地 「蛤のふたみに別行秋ぞ」 俳聖松尾芭蕉がこの地で詠んだ俳諧紀行「奥の細道」のむすびの句です。 元禄二年(1869)三月二十七日、江戸深川を出発した芭蕉は、門人曾良とともに奥州から北陸を経て、ここ大垣で「奥の細道」の旅を終えました。九月六日には、俳友の谷木因や近藤如行ら大垣の俳人たちに見送られ、伊勢神宮の遷宮参拝のため、この船町港から桑名へ舟で下りました。
 谷木因俳句道標 ‥‥」
↓水門川
↓「大垣船町川湊」 芭蕉が伊勢に旅立ったのはここかららしい。
↓芭蕉翁と木因翁




↓蛤塚 「い勢にまかりけるをひとの送りければ
蛤のふたみに別行秋ぞ  はせを 」
↓木因白桜塚 「惜むひげ剃たり窓に夏木立 白桜下木因」


↓住吉神社
↓住吉灯篭


  
↓大垣・奥の細道むすびの地記念館

〇奥の細道紀行はこれで終わりではない。あと二編ある。

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