〇《奥の細道》より、
『末の松山は寺を造りて、末松山(まっしょうざん)といふ。松のあひ(間)あひ皆墓はら(原)にて、はねをかはし枝をつらぬる契の末も終(つひ)にはかくのごときと、悲しさも増さりて、‥‥』
〇「末の松山」 沖の石の近く、北方にある。多賀城市街。歌枕。
歌枕 《契りきなかたみに袖をしぼりつゝ末の松山波こさじとは》後拾遺集・清原元輔
《君をおきてあたし心をわがもたば すゑの松山浪もこえなむ》古今集・東歌
↓「墓原はら)」状態
〇「末末山・寶国寺」
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