〇《奥の細道》より、
『末の松山‥‥悲しさも増さりて、塩がまの浦に入相(いりあひ)のかねを聞く。五月雨の空聊かはれて、夕月夜(ゆうづくよ)幽(かす)かに、籬(まがき)が島もほど近し。』
〇「入相の鐘を聞く」 塩竈の街を探索していたら、「芭蕉・晩鐘の碑」に行き当った。この碑が、入相(夕暮れ)の鐘を聞く・のエピソードに該当するのか。
↓芭蕉・晩鐘の碑。風化して碑面は読めない。
〇「塩がまの浦」 塩竈湾。歌枕・千賀の浦のこと。
↓籬が島から見た塩竈の浦・千賀の浦。浦のイメージは全くない。
↓松島湾周遊観光船の発着港
↓海上保安庁の基地と見える。大型艦艇が二隻停泊。
〇「籬(まがき)が島」 塩竈湾中の小島。歌枕。
《わが背子を都にやりて塩竈のまがきの島のまつぞ恋しき 古今集・東歌》
↓島から見た陸。向かいに松の茂った岡が見える。昔はこの岡が海岸線を成していたんだろう。
↓赤い橋を渡ると鳥居がある。「奥の細道」の碑が建っている。
海・湾に向かって建てられた鳥居。
文字がよく読み取れない。島名「曲木(まがき)」の由来の木↑のことを書いてあるのだろう。
『蜑(あま)の小舟こぎつれて、肴わかつ声々に、「つなでかなしも」とよみけん心もしられて、いとゞ哀れ也。其の夜盲目(めくら)法師の琵琶をならして奥浄るりと云ふものをかたる。平家にもあらず、舞(舞々・幸若舞)にもあらず、ひなびたる調子うち上げて、枕ちかうかしましけれど、さすがに辺土の遺風忘れざるものから、殊勝に覚えらる。』
〇「つなでかなしも」 「つなで」は綱手、引き綱。
《陸奥はいづくはあれど塩竈の浦漕ぐ舟の綱手かなしも》古今集・東歌
〇《曾良随行日記》によれば、『宿、治兵へ(衛)。法蓮寺(塩竈神社の神宮寺。裏参道口にあった、今はない)門前、(画工)加衛門状添う。銭湯有るニ入る。』
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