『(五月)四日 ‥‥夕方仙台に着く。』
『五日 ‥‥略(人との往来)‥‥』
『六日 天気能(よし)。亀が岡八幡へ詣(もうず)。城の追手(おうて)より入る。俄に雨降る。茶室へ入り、止(やみ)て帰る。』
〇「亀が岡八幡神社」は仙台城の裏手にある。近くに東北大学が立地している。この神社に参詣する者には、城の大手門を通って近道することが許されたらしい。
↓「亀が岡八幡神社」 辿り着くのに四苦八苦。半ば諦めかけたが、執念で辿り着いた。
↑「‥‥亀岡八幡宮司山田土佐守・千手院興祐らも俳諧を嗜み、仙台俳壇の開拓者大淀三千風に師事していた。‥‥元禄二年正月六日、「おくの細道」の旅の芭蕉と曾良は、亀岡八幡宮に参詣した。「曾良旅日記」には、‥‥。亀岡八幡宮は「おくのほそ道」の行文には書かれなかったが、境内から遠望した金華山をはじめとする光景は、芭蕉の心に深い印象を与えた。昭和二十年七月九日の夜から十日未明にかけて、仙台はB29の焼夷攻撃をうけた。その結果、亀岡八幡宮の社殿と宝物のすべてが焼失した。往時の面影は、大鳥居と石階に残っているにすぎない。」
↓ボクの苦手な石段登りの始まり。ボクは狭心症で貧血症。
↓鶴(の置物)が二羽いたのでわざわざこの手水舎を写した。
拝殿
本殿
『七日 快晴。(画工)加衛門(北野加之)同道に而(て)権現宮を拝す。玉田・横野を見、つゝじが岡ノ天神へ詣で、木の下へ行く。薬師堂、古へ(いにしへ)国分尼寺之跡也。帰り曇り。夜ニ(に)入り、(画工)加衛門・甚兵へ(衛)入来す。冊(短)尺并(ならびに)横物一幅づゝ翁書き給ふ。ほし飯一袋、わらぢ二足、加衛門持参す。翌朝、のり壱包持参す。夜ニ(に)降る。』
〇「権現宮」 仙台東照宮のこと。
↓大鳥居・重文
↓随身門・重文
↓神輿者
↓神楽殿
↓手水舎
↓拝殿・重文
↓唐門
↓本殿・重文
『八日 朝之内小雨す。巳の尅(巳の刻、午前十時頃)より晴れる。仙台を立つ。‥‥』
〇こうして芭蕉・曾良の四泊五日の仙台行脚は終わった。次は、多賀城跡・壺の碑(いしぶみ)、歌枕の数々、塩竈神社を目指す。
0 件のコメント:
コメントを投稿