2015年6月8日月曜日

〇《奥の細道》紀行・出羽路(4) 尾花沢市所有「松尾芭蕉・岸本八郎兵衛宛書簡・真筆2点」

↓尾花沢「芭蕉清風歴史資料館」パンフより。清風宅・内部

〇芭蕉真筆二点・尾花沢市所有
↑「岸本八郎兵衛宛書簡2点は、おくのほそ道行脚中の羽黒山で芭蕉の門人となった「呂丸」が京都で客死したときの手紙です。宛先は呂丸と同郷の江戸詰め鶴岡藩武士である「岸本八郎兵衛」です。芭蕉は元禄6年3月5日から8日間で、全4通の手紙を岸本宛に送っています。このことからも芭蕉がいかに呂丸の死を惜しんだかうかがえる貴重な資料です。」
〇『呂丸』は、ボクのこの「奥の細道紀行」の羽黒山の章にも登場する。

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