『一 廿五日 吉。酒田立つ。‥‥。未の剋(ひつじのこく・午後二時)、大山に着く。状添え而丸や(屋)義左衛門方ニ宿。夜雨降る。
〇廿六日 晴。大山ヲ立つ。‥‥。大山より三瀬(みせ)ヘ三里十六丁、難所也。三瀬より温海(あつみ)ヘ三リ(里)半。此の内‥‥色々ノ岩組景地有り。未の剋(ひつじのこく、午後二時)、温海に着く。鈴木所左衛門宅に宿。‥‥。』
〇これから紹介するのは、三瀬から温海への道中にある「塩俵岩」。これも「色々の岩組景地」の一つ。
↓芭蕉句碑発見。地元の人々に尋ね廻っても分る人はいなかった。「塩俵岩」の傍にあると言えば多分大概の人は分かったろう。
↓芭蕉句碑。背後の左右にある岩は「塩俵岩」の一部。
《あつみ山や吹浦かけて以ふ(夕)涼み 芭蕉》
↓ここが名勝「塩俵岩」だった。塩俵を積み上げたような岩相を表現したものか。
〇三瀬の海岸線もわざわざ訪れた。今は国道トンネルが開通していて山を潜るので海岸線に出る必要はない。が、訪れてみた。曾良の云う通り海岸道はその昔難所だったろう。残念無念なのはその三瀬の海岸線の写真を一枚も撮らなかったこと。ボクは随行記に三瀬の地名と難所だったことが書かれていたことを忘れていた。痛恨の極み。多分ボクはいつの日かこのルートを通り、そうして三瀬海岸の写真を撮る。ボクは概して淡白で諦めの好い人間だが、事こういうことになると凄くしぶとい。
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