2015年11月7日土曜日

〇《奥の細道紀行》8/12(水)山形県大石田で芭蕉が三泊した一栄宅跡を探訪

本合海の最上川乗船場から大石田に出た。最上川の船役所のあった宿場。ここで難題と事件が発生した。芭蕉は一栄さんの家で三泊した。初夏の旅行ではその家の探訪に失敗した。今回は研究を重ねたので楽勝と思えたがすっとこどっこい目を皿にして表通りを探索して歩いても全然見当たらない。またも挫折かと失意の底に落ちた時、裏の最上川堤防に至る小路が見えた。念のため堤防から街並みの裏側を覗いていくことに。すると土手道でも諦めかけた時に草に埋もれた「奥の細道」の標識が見えた。小躍りして辺りを探索。とうとう一栄宅跡に到達した。その後大事件が発生。セレナを表通りの一角に駐車させて探訪に赴いたが、ものの5分もあれば一栄宅を発見して戻って来れるものと思っていたのに大いに手間取り焦った。戻ってみると何とセレナがいない。幾ら探してもいない。近くの店のジイチャン・バアチャンが親味に捜索を手伝ってくれた。遂には店の電話を借りて警察に訴え出た。警察が直ちに出動してくる大事件になった。ところでセレナ君は居た。別の橋のたもとに居た。堤防道を歩いたボクの勘違い。警察はどういう始末をつけたか。それは秘密(_)!! 親切な店の人にはお菓子を買ってきて御礼した。
↓大石田の土手道から見た最上川。上流
 ↓下流
 ↓土手道で「らしきもの」発見。
↓とうとう「高野一栄」宅跡に辿り着けた。

 ↓「芭蕉遺跡・一栄亭三泊 芭蕉と曾良が一栄亭高野平右衛門を尋ねたのは元禄二年旧五月二十八日であった。川水(高桑加助)は途中まで出迎え、最上川畔の船宿である一栄亭に案内した。翌日から俳諧あり、芭蕉は新しい蕉風の種をこぼし「わりなき」一巻の歌仙を残し今に当地に珍蔵されてある。そのときの翁の表発句は、さみだれをあつめてすずしもがみ川 であった。翁は黒滝の向川寺を参詣、また川水宅の招きにも応じ、朔日の朝、馬で発足、一栄と川水は途中阿弥陀堂まで送り、別れを惜しんだ。」
 ↓何やら案内標識がある。

 ↓土手から下に下りる。
↓「芭蕉翁真蹟歌仙”さみだれを”の碑」の案内

   
↓「芭蕉翁真蹟歌仙"さみだれを"の碑
芭蕉翁は、元禄二年に大石田を訪れ、新古ふた道に踏み迷いさぐり足している、一栄と川水に俳諧の指導をしました。そして、出来ましたのが歌仙”さみだれを”といわれる一巻です。芭蕉翁は、自ら筆を執ってこの歌仙を書きました。平成元年は、芭蕉翁が「おくのほそ道」を旅してから三百年にあたりますので、記念として、その歌仙の初折の表六句と名残の裏六句並びに奥書を二倍に拡大して刻んだ碑を、歌仙が巻かれた由緒の地に建立いたしました。
碑文 
さみだれをあつめてすヽしもがミ川 芭蕉
岸にほたるを繋ぐ舟杭        一栄
瓜はたけいさよふ空に影まちて   曾良
里をむかひに桑のほそミち      川水
(以下略) 」
  ↓一栄宅跡は綺麗に整備されていた。誰かが手入れしている。表通りからは全く窺い知れず、又何の案内標識もないのが惜しまれる。

 ↓芭蕉翁真蹟歌仙”さみだれを”の碑文


  ↓再び土手道に上がる。
 ↓一栄宅跡を振り返る。
  ↓船役所跡に至る土手道
〇この後、ボクがセレナ君を見失い警察が出動する騒ぎが勃発。

0 件のコメント:

コメントを投稿