〇知立市の「知立神社」に辿り着いた時はもうすっかり暮れてしまっていた。闇夜の中を手探りで多宝塔を探訪した。何とか多宝塔に辿り着いたが、新しいカメラのフラッシュ機能が使えずじまいで撮影には大失敗。境内公園の方に「芭蕉句碑」もあったそうだが、どれが句碑やら特定できずに残念無念。文化財探訪に懸けるボクの執念から見ていずれ再訪するだろう。
↓多宝塔・重文 多宝塔は仏教寺院にあるべきモノ(真言宗に多い)。神社にあるのは理に合わないように思える。が、明治維新までは普通だった。神仏分離・廃仏毀釈が叫ばれるまでは、神仏は混淆し習合していた。神宮寺という別当寺が普通にあった。知立神社もその昔は神仏習合していた。この多宝塔も明治維新時、叩き売られて薪にでもなるべき運命だったろうが、文化財を愛好する識者が理屈をつけて神社境内にそのまま残せるように図ったに違いない。内部の仏教関係のモノをすべて撤去して神道色に衣替えして。
拝殿
〇今日一日で滋賀県・教林坊を振出しに岐阜県・愛知県を駆けて知立神社で六か所を巡った。知立神社で晩秋の早い日が落ちてしまった。近くの道の駅で泊ることも考えたが、疲れたので一気に能登の七尾の自宅まで帰り、布団の中でヌクヌクとしてYOU TUBEを見ながら寝た。三連休の三日目は自宅でゴロゴロしていた。
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