〇皆で昼食を摂った後、午後一時から東大寺へ。↓南大門到着。
↓南大門を護る阿吽二体の仁王像。何度見ても勇壮偉大で魂魄の気が満ちていて飽きない。これぞ芸術作品。
〇東大寺ミュージアムに入る。
↓本尊然として中央に立つ千手観音立像。木像。この仏像は先だってまで四月堂の小さな暗い堂内に安置されていた。場違いに異様感を放っていた。それが、ミュージアムが新築されその檜舞台に立ったが、堂々と主役を務めている。それだけの貫録と芸術性がある。重文指定に留まるがボクの見立てではいずれ国宝になる。作者不明。国宝に指定されないのはそのためだと見ている。梅原猛は《行基仏》だと主張する。ボクもそう思う。
〇上の千手観音立像の両脇侍仏
↓国宝・日光菩薩立像 塑像・天平仏 東大寺ミュージアムが開設されるまで、法華堂(三月堂)本尊・不空羂索観音立像・国宝の脇侍仏だった。
↓国宝・月光菩薩立像 塑像
↓日光・月光両菩薩像のさらに脇に立つ四天王像。木像・重文
↓塑像・吉祥天立像・重文 元は法華堂に安置されていた。巨大
↓塑像・弁才天立像・重文。元は法華堂に安置されていた。巨大
↓誕生釈迦仏立像及び灌仏盤・国宝
〇ミュージアムを出て大仏殿に向かう。↓金堂(大仏殿)中門
〇大仏殿境内
↓毘盧遮那仏(大仏)
奈良時代に大仏が創造されたとき、このように金で荘厳されていた。華厳教では、この世界の本質は光であり世界は光で満ち満ちている。それを示現すると巨大な光り輝く毘盧遮那仏になる。どうしても大仏は金で覆われ輝いていなければならなかった。時あたかも奥州で金が発見された。その目出度さを大伴家持は歌っている。《天皇(すめらぎ)の御代栄えむと東なる陸奥山(みちのくやま)に金(くがね)花咲く》
↓因みに鎌倉大仏は阿弥陀仏である。
大仏の向かって左の虚空蔵菩薩坐像。巨大
↓右に大仏が坐っている。
↓大仏殿内・大仏光背の裏側の大空間。この模型で注目すべきは、東大寺が創建された当時、七重塔が東西に二基建っていたこと。二基ともやがて消滅した。塔跡だけは今も東西に残っている。
↓前代の大仏殿の模型。現在の大仏殿よりも一回り(二回りか)大きい。多聞天(毘沙門天)立像。巨大
↓大仏殿の裏側を一周してきた。大仏の向かって右側の如意輪観音坐像。
↓左に大仏が坐っている。
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