〇西行銅像の横に八幡神社がある。
↓境内を歩くと、楽しいモノに行き当った。↓「西行さんの腰かけ石」
↑「渋川と西行法師について 新古今和歌集の代表的歌人であり後世に大きな影響を与えた保元の乱に敗れた崇徳上皇は都へ帰ることもかなわず悲運のうちに松山の配所(現・香川県坂出市)で1164年崩御された。西行法師は上皇の配所の跡を訪ね陵墓に参詣し御霊を慰め奉らんと1168年の秋、四国行脚を思いついた。そして長い旅路のすえようやく渋川に到り目ざす松山を対岸に望んだが強風のため舟出をはばまれてしばらく此処にとどめられた。幼児たちが無心に「つみ」と言われる貝などを拾う風景を見て仏道でいう殺生の「罪」作りをしなければ生きていけない漁民のくらしに思いをはせてこの歌を詠んだ。渋川海岸にたたづんだ西行法師の熱いお心のうちがしのばれる。
《下り立ちて浦田に拾う海人の子は
つみより罪を習ふなりけり》」
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