↓白い灯台の前に銅像が見える
↓西行銅像。左の建物は水族館の入口↓この顎の張った・四角い顔。誰かに似ている(~_~;)
↑「野山に伏りて諸国行脚 自然に即してきびしく人間の生き方をみつめて西行の歌は永く国民に相性されてきた。法師の渋川巡錫を顕彰するためクラブ創立十五周年を記念してその像を立つ。昭和五十六年‥」
〇《おりたちて浦田(渋川の一地名)にひろふ海人の子は つみ(貝の一種)よりつみ(罪)を習ふなりけり》(山家集)
西行はかつて北面の武士として仕えた崇徳上皇が保元の乱に敗れて讃岐に流されその地で憤死されたことが生涯心に掛かっていた。その崇徳上皇の御霊をお慰めすることが宿願となっていたので、彼は51歳の時(1168)四国讃岐に渡るべくここ渋川に杖を突いた。歌は、風が悪くてここで日延べをした時に詠んだものらしい。海岸で何か拾っている海人の子らに問うと「つみ」を拾っていると答えた。
〇悲願の一つを果たし終えた。おまけまで付いたことを次に紹介する。
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