〇幕末、長州藩が京都御所蛤御門の変で敗れたとき、長州藩に味方していた七卿が都落ちした。其の七卿が鞆の浦まで船で来て宿泊した旧家がある。それが岡田家(旧中村家)。重文である。
↓重文・岡田家(旧中村家)
〇「太田家住宅・太田家住宅朝宗亭(住宅の向かい)、鞆七卿落遺跡 維新の夜明けも近い1863年、尊王攘夷を主張する三条実美ら7人の公家は、公武合体派に追われ都落ちをしました。一行は、ここ旧「保命酒屋」に立ち寄り、その時、三条実美は、保命酒(竹の葉と表現)をたたえる和歌を残しました。主屋の太田家住宅と向いの「朝宗亭(ちょうそうてい)」は、18世紀中頃~19世紀初期の建物である、共に国の重要文化財に指定されています。」
↓「広島県史跡・鞆七卿落遺跡」「重要文化財・太田家住宅」「名酒売捌所」
↓名酒売捌所
保命酒(ほうめいしゅ)は、鞆の浦の特産薬味酒。
〇保命酒(ほうめいしゅ)は、広島県福山市鞆町名産の薬味酒(リキュール)。生薬を含むことから「瀬戸内の養命酒」などと言われることもあるが、養命酒とは異なり医薬品ではない。保命酒は大坂の医師中村吉兵衛が考案した薬用酒で万治2年(1659年)に備後国鞆で製造を始め代々中村家が独占的に製造・販売を行っていた。明治時代になると複数の業者が類似の酒を製造し保命酒として販売し始め、現在は4社が製造を行っている。中村家は明治時代に廃業した。中村家は現在太田家となっている。
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