2016年9月17日土曜日

〇9/16(金)午後三時・未下刻、能登総合病院無事退院。セレナは整復されて車庫に収まっていた。

〇今週のカテーテル循環器内科検査での能登総合病院入院は散々。先ず先の日曜日の弥彦・寺泊《奥の細道》探訪旅行は無事に七尾に帰り着いたのに車庫の中でボクの不注意で運転席ドアを逆腕に取られてへし折られてセレナは月曜日に整復手術に連行されていかれた。次にパソコンと共に病室に持ち込んでいた大容量データディスクをボクの不注意でテーブルの上から床下に落下させた。ぐしゃっと不気味な音がした。悪いことに翌日今度は落とさないようにわざわざベットの上に置いていたディスクをまたも床下に落とした。さすがにディスクは不調になって再生速度が十分の一以下になった。このまま使用を続ければ時間の問題でディスクは壊れる。退院は午後三時頃。車庫を覗くとセレナが戻っている。ドアを開閉するとスムーズにいく。よく見るとドアの継ぎ目はボコボコ状態。尤もセレナは既に302000kmを走破した歴戦の勇士。満身創痍が似合いかも。セレナの凸凹を恥ずかしがらずに胸を張って最後の名残を惜しんで二人で走り続けられる所まで走ろう。事務所でデータの保全にかかった。大容量ディスクから小分けにして小ディスクに転写していくと結構スピーディに成就する。この調子なら、どれだけ時間を要するかは分らないが大容量ディスクが動かなくなる前には必要十分なデータは写し終えられそうな気がする。気持が明るくなった。三連休は旅に出ようという気になっている
〇三連休の第一日目は《奥の細道紀行》の最終章(大垣)の前後の章取り組む。《奥の細道》の最後の章はこうである。
『露通(ろつう)もこのみなとまで出(い)でむかひて、みのの国へと伴ふ。
駒(こま)にたすけられて大垣の庄(しょう)に入(い)れば、曽良(そら)も伊勢より来たり合い、越人(えつじん)も馬をとばせて、如行(じょこう)が家に入(い)り集(あつ)まる。
前川子(ぜんせんし)・荊口父子(けいこうふし)、そのほかしたしき人々日夜とぶらひて、蘇生(そせい)のものに会ふがごとく、かつ悦び、かついたはる。
旅のものうさも、いまだやまざるに、長月(ながつき)六日になれば、伊勢の遷宮(せんぐう)おがまんと、また舟にのりて、 
 蛤(はまぐり)の ふたみにわかれ 行く秋ぞ』
〇露通が敦賀まで迎えに出てきて、美濃の国まで同伴した。
〇馬に乗って大垣の庄に入った。この二点が道中に関わる肝腎な記事。
敦賀から大垣までの間、途中で泊ったのかどうかは分らない。行程と、曾良が先行した時の道中記を参考にすると、芭蕉は露通と次の二つの宿場で泊ったらしい。先ずは木ノ本宿、次は春照(すいじょう)宿。どこの宿に泊まったかは今となっては分らない。
〇大垣では結びの地は既に探訪したが、木因・芭蕉の墓を訪ねる必要がある。正覚寺にあるそう。
〇大垣の跡のボクの旅程は未定。

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