〇椎谷観音・仁王門前に芭蕉句碑があると聞き探訪することに。
↓カーナビに頼って着いたのが「華蔵(けぞう)院」という寺。真言宗豊山派。300段の石段を昇ると聞きかじっていたのでその覚悟で登り始めたらすぐに境内に着いた。そこにおばあさんが境内の手入れをしていた。会話が要領を得なかったが、ここは椎谷観音ではない、椎谷観音は海岸線をもっと北に行くのだそう。
言われたように海岸線に出て北に行ってみると、途中で「椎谷馬市」跡があった。日本三大馬市の一つだったそう。手書きの案内図を見ると、下に「本坊・華蔵院」とあり、上に「観音堂」とある。どうやら先ほどおばあさんがいた寺は、観音堂に対して本坊の位置づけになるらしい。
↓仁王門発見。ここに至るまでに散々な苦労をした。最後に見せるボクの両足の脛の傷痕を見て下さい。
↓仁王門の左手前に句碑発見
芭蕉句碑 《草臥(くたびれ)て宿かるころや藤の花》
↓仁王門の前に建つ閻魔堂
↓仁王門を潜って観音堂に続く石段。300段あるそう。上に行くほど草に覆われて歩行困難
観音堂直下までは車道が造られていたのでそれを登って来た。
↓先ずは〇〇上人堂前を通り右折する。
小さな窓から覗き見た〇〇上人像
石段を数十段上ると観音堂に着く
〇椎谷観音堂
椎の木の巨木
宝蔵庫
観音堂の隣に香取神社がある
椎谷観音堂前から眺めた柏崎方面に続いて行く旧北陸街道。芭蕉と曾良もこの海岸線を西進して行っただろう。芭蕉がこの観音堂を訪れたということはなかった。
↓芭蕉句碑を発見するまでに草薮に分け入ったりして両足の脛に切り傷ができた。
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