2016年9月3日土曜日

〇《奥の細道紀行》8-10(水) 越中国「黒部48ヶ瀬」・数知らぬ川を渡る

〇《奥の細道》
黒部四十八ヶ瀬とかや、数しらぬ川をわたりて、那古(なご)といふ浦に出づ。』
〇《曾良随行日記》
『泊ニ到テ越中ノ名所少々覚者有。入善ニ至テ馬ナシ。人雇テ荷ヲ持せ、黒部川ヲ越。(情報によると)雨ツヾク時ハ山ノ方へ廻ベシ。(すると)橋有。(橋まで)壱リ半ノ廻リ坂有。昼過、雨為降晴(雨となり降りて晴れる)。申ノ下尅(さるのげこく。午後5時前)、滑 河ニ着。暑気甚シ。』
〇日記によると、二人は橋を渡らず、徒歩あるいは舟で黒部の数知れぬ川瀬を渡ったことが分る。
〇現在の黒部川は、芭蕉の頃と姿・趣を異にする。芭蕉の時代、黒部川は扇状地一帯を扇を広げたときの骨の様に一杯に広がって流れていたろう。今は治水のため堤防でしっかり区切られ囲われた部分が黒部川であり、堤防の外の扇状地は全体が耕地整理されて水流は用水として設計管理されている。黒部48ヶ瀬の面影は全くない。
↓国道鉄橋に着いた。黒部大橋
 黒部大橋の袂
 河原
 黒部大橋
 〇黒部大橋の辺りは新開道路で、芭蕉が歩いた道とは程遠いと思われたので、芭蕉の道に近づくために日本海沿いの海岸線を目指した。着いたのがこの橋。ルートは県道2号線。これぞ芭蕉の歩いた旧北陸(北国)街道にほぼ相当すると思われた。


 河原
 ↓「下黒部橋」
 ↓旧JR北陸本線鉄橋
 ↓河口・日本海に近そうなので土手を一直線に下流に走ってみると、直ぐに日本海に出た。
 ↓立山連峰を振り返って見ると黒部の谷の入口が見える。遠景の山のうち、右端の少し濃く見える山が左下に向けて尾根線をなだれ落ちさせているが、その落ち際が黒部谷の始まり。この山の裏側に宇奈月温泉が控えている。
 ↓黒部扇状地の伏流水が随所で湧き出している。その一つ、入善・高瀬の湧水。湧水の恵みを受けようとする人が引きも切らない。
 ↓入善から見た黒部谷の入口。手前の山の背後に宇奈月温泉、そして黒部峡谷がある。
〇黒部48ヶ瀬を渡って、芭蕉と曾良は酷暑の中、滑川宿に到着する。

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