〇7-3(日)大阪府熊取町「来迎寺(らいごうじ)・本堂」重文
「重要文化財・来迎寺本堂 来迎寺の草創は明らかではないが、寺伝によればもとは天台宗に属し、のち真言宗となり、元禄2年(1689)には曹洞宗梅渓寺の末寺となったといわれている。本堂は、嘉暦4年(1329)正月、沙弥随善、沙弥妙法、宗平四郎等が建立したと伝えられ、もと雨山城にあって南朝の武将橋本正高が八大龍王殿と称し、朝夕武運長久、繁栄安泰の祈願堂としたともいわれている。鎌倉時代の様式を備え、三間四方(約30m)の小堂で、屋根は寄棟造、行基葺、基壇はなく野面石上に柱を建て、三方に濡縁を設けている。内部は中央奥寄りに四天柱を建て、正面に格狭間のついた漆塗りの須弥壇を設け、主要部分は丹塗りである。正面中の間に戸口、背面に半間の出入口があって他は塗壁で一本の垂木が軒先から内部まで通り、天井の四隅の梁がエビ虹梁という珍しい建築である。内部は煤けが多く、燻った状態からこの本堂は当初護摩堂ではなかったかと推定されている。また、昭和7年からの『熊取村誌』編さんの調査の過程で、応永31年(1424)銘の鬼瓦が発見された。なお、本堂の内部には本尊阿弥陀如来坐像が安置されている。」
↓本堂・重文
↓中央・本坊、左・門・鐘楼、右・本堂重文
↓本坊。左へ鐘楼、門
↓左・本坊、右・本堂重文
↓本堂・重文
↓本堂の軒・庇
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