〇「願泉寺(貝塚御坊) 天文14年(1545)、無住であった草庵に紀州根来寺から卜半斎了珍を迎え、一向宗の町づくりが始められた。石山本願寺から寺内町に取り立てられた後、天正5年(1577)には、その支城として織田信長と戦い、町は焦土と化した。その後、寺も町も再興され、天正11年(1583)から2年の間、紀州鷺ノ森より顕如上人を迎えて本願寺御堂となった。江戸時代には、町は寺領とされ、住職の卜半家の支配が続いた。願泉寺の名は、慶長12年(1607)准如上人から授けられた。境内にある梵鐘は鎌倉時代のもので、府の文化財に指定されている。」
重要文化財
(以下は重要文化財の附(つけたり)指定)
- 鐘楼
- 表門両脇築地塀
- 目隠塀
↓表門内側
↓表門内側、左側に重文・太鼓堂が見える。
↓表門を入ると、目隠塀(付(つけたり)重文)があり、その背後に重文・本堂がある
↓本堂・重文
↓太鼓堂・重文
↓右・経堂、左・鐘楼
↓築地塀は付(つけたり)重文。背後右側・太鼓堂、左大屋根・本堂
↓表門と本堂大屋根
△右耳の補聴器はここの駐車場で落としたような気がする。とにかく和泉国(泉南)の旅行中に右耳の補聴器を落した(--〆)
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