朝9時半出発。午後1時半頃、湖西・高島市安曇川の「思古淵(しこぶち)神社」本殿・重文を探訪。この神社は安曇川沿岸を縄張りにする水に関係する神様を祀る。今も「志古淵(しこぶち)七社」と称される有力七神社が存在する。ところでこの神社の在り処がどうしても分らなかった。カーナビの案内画面を最大に拡大しても鳥居マークさえも表示されないという世に隠れた存在。在所の農家の玄関を開けて、農繁期であくせくしているオッサンに神社の在り処を訊く破目に。始め説明してくれていたが、いくら説明しても無駄だ、付いて来いと言われて軽トラに附いて行くと、とんでもなく細い道を縫った末にボクの独力では絶対発見できない隠された場所に案内してくれた。参道の入口さえ隠されている。そのオッサンが去り際に言うには、「この忙しいのに迷惑なこった。区長を叱っとかな。遠くから訪ねてくる人もあるような宮なら、案内板をちゃんと出せと」。この後、安曇川を遡り、朽木(くつき)谷に入って大原方面に南下してから西に山また山を越えて京都府花背の「峰定寺」(ぶじょうじ)と料理旅館「美山荘」(びざんそう)を訪ねた。ここを訪ねるのは三度目かな。山奥は肌寒く、未だ桜が咲いていた。峰定寺の入山は午後三時半までだが、到着した時は既にタイムオーバー。峰定寺の門前に在る美山荘は京都でトップクラスの料亭らしい。ここの若女将が素敵な人。ここを訪れる度に会える。今回も会えるかなと思っていたら、会えた。いつも美山荘をバックに写真を撮らせてもらうんだが、今回は遠慮した。何せ料理を捧げて運んでいる最中だったので。それでもボクの姿を認めて笑顔を浮かべ、唇を動かして何か言ってくれた。今日の彼女は正装の着物姿で綺麗に化粧もしそれは別嬪さんだった。彼女の写真を撮れなかったことに心残りはある。今回の美山荘の写真は画龍点睛を欠いている。花背から更に西に向かって山また山を越えて京北町の常照皇寺(じょうしょうこうじ)を訪ねた。ここの入山は午後四時までだが、到着時刻は四時半。京北町は幕末維新の時ここから「山国(やまぐに)勤皇隊」を突如降って湧いたように動乱の渦中に出現させ世間を驚かさせたもの。常照皇寺は皇室とのゆかりが深い。山国勤皇隊が結成される基盤には、常照皇寺の存在が関係しているとボクは見ている。
明日は亀岡市の重文建造物を探訪するので、今夜の泊りは「道の駅・ガレリアかめおか」にした。カーナビに案内させたら右京区の高雄に出てさらに仁和寺・妙心寺にまで下りて、それから国道9号線(山陰道)を目指すコースを取ったので途中京都市街地で渋滞に嵌る破目に。ボクは今日のコースの流れとしてあくまで京北町の山間を縫う道を走って亀岡市に入りたかった。とにかく6時40分に亀岡の道の駅に着いた。明日は亀岡市を中心に、時間があれば南丹市にも足を延ばして重文を探訪して帰る。
道の駅到着、午後7時半。走行距離370km
道の駅到着、午後7時半。走行距離370km
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