道の駅「ガレリアかめおか」で早朝目覚め、07:30に探訪に出発。
〇先ず、亀岡市郊外の「愛宕神社」本殿・重文。ボクが到着した直後に、宮司(おじいさん)・禰宜(息子だろう)・おばあさんの三人が車で到着。三人で神饌の御供えなどに励む。本殿は立派な覆い屋でカバーされていて好い写真が撮れない。ちょっと残念。本能寺の変の前夜、光秀が御神籤をひきに行った愛宕神社はここでないのかと思っていたので、宮司さんにその旨尋ねると「違います」の一言。三間社・流造・檜皮葺。
〇次に、南丹市園部町に「普済寺(ふさいじ)」重文仏殿を探訪。谷筋を走ってきたらいきなり谷間に建つ仏殿に逢って感動。屋根の両端が反り上がった美しいシルエット。南北朝時代の禅宗様式を伝える。本堂などは石段を昇った岡の上にある。
〇その次に、南丹市園部町の「春日神社」重文本殿を探訪。修復を終えて程ないと思える本殿が朱塗りの美しさを煌めかせて、何の覆い屋も持たずに白日の下に建っていてここでも感動。一間社の小祠。流造・檜皮葺
〇更に、南丹市園部町の大河内という奥地に「大山祇(おおやまづみ)神社」重文本殿を探訪。ここの本殿も覆い屋に護られていたが、辛うじてその全貌は写真に収められたんじゃないか。一間社・流造・檜皮葺。この神社を訪ねる途中で、去年そこを訪れた「九品寺(くほんじ)」の重文楼門(朱塗)の前を通過した。摂津から丹波を通って若狭に抜けた道はこの道だったんだ。その時、左に行けば〇〇神社重文本殿の案内板が出ていたが、ボクは時間が無くて右折して若狭に急いだ。心残りが今日まであった。その雪辱を今日果たした。
〇最後に、亀岡市の「梅田神社」重文本殿の探訪。南丹市との境界を跨いだらそこにあった。在所は突きとめたが在り処が分らない。それほどの小社。畑をしている老農婦に訊いた。あの大きな木の見える所だと教えられて行ったら、在った。この本殿は朱塗でない。一間社・流造・檜皮葺。
〇帰還は11:30に南丹市の京都縦貫道(宮津まで行く)千代川ICから入り亀岡ICを通って最終は何と大阪府下の大山崎JCTまで南下して名神高速に接続する。ボクは京都南IC辺りで名神耕作に接続するもんだと思い込んでいた。高速で二回休息を取ったが及ばす、北陸自動車道・南条SAで睡魔に負けて昼寝をした。小一時間は眠ったろう。それでも七尾到着は午後5時45分。走行距離数815km。一日好天。
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