〇加賀藩は、江戸時代初期から明治維新までの約200年間に流刑人を約150人、越中五箇山の7集落に流した。この流刑小屋は、白山宮の向かいの庄川を渡って直ぐの山腹にある。
↓「富山県指定有形民俗文化財・流刑小屋」
↓流刑小屋には三種類あった。①集落内に限って出歩ける小屋、②一歩も外へ出られないお縮小屋(おちぢみごや、と読むか)、③小屋の中に更に狭い織を造って閉じ込める禁固。ここの小屋はお縮小屋だったろう。
↓戸の格子の隙間から覗いて見ると中は真っ暗で何も見えない。試しにデジカメ撮影してみて驚いた。人影が幽霊の様に写っている。
↓フラッシュ撮影したら、この通り。武士が独り畏(かしこ)まって坐っている。
↓これは食事の差入口
↓差入口から撮影してみると、食事をしていたのに気が付いた。
〇ここ上梨地区には、重文・村上家、重文・羽馬(はば)家もあったので訪ねた。
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