2017年7月25日火曜日

〇7-25(火)《法華経》を読んでいる

《法華経》は最澄が唐から持ち帰って以来、平安時代を通じて日本仏教の首座の地位にあった経典。空海の持ち込んだ真言密教経典との角逐で火花を散らしたが、ほぼ互角の形成で平安時代を通した。鎌倉時代に入ると法華経を基盤とする天台宗も・密教である真言宗も一気に旧態仏教の地位に追いやられた。浄土宗・浄土真宗、禅宗・日蓮宗が台頭した。そのうち日蓮宗は法華経を唯一無二の経典とした。そして日蓮宗の影響力は現在にまで強く及ぶ。法華経は日蓮宗、天台宗の依拠経典として現代においても重要な地位を占めている。法華経の中味を知らぬままにこの世を去る訳にはいかないだろう。こう思えたので読むことにした次第。
意外だったのは、ビンビサーラ王とアジャセ王子の子殺し・親殺しの物語やそれにまつわるダイダバッタの釈迦に対する反逆の話は法華経典に全く出てこない。ボクはこれらの話は法華経典に書いてあるものだと思い込んでいた。これらは、法華経とは別の文書に書かれた物語。法華経には、イダイケの子アジャセ王が仏の説法を聴こうとしている場面と・ダイダバッタが成仏を約束される場面が短く書かれているだけ。
法華経は冗長で詠み難いことこの上ないが、とにかく読み通すつもり。

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