2018年5月8日火曜日

〇《イザベラバード紀行(8)》5-1(火)日光例幣使街道・鹿沼~日光今市

日光例幣使街道(にっこうれいへいしかいどう)は、江戸時代脇街道の一つで、徳川家康の没後、東照宮幣帛を奉献するための勅使日光例幣使)が通った道である。倉賀野宿(高崎)を起点とし、中山道と分岐、太田宿栃木宿を経て、楡木(にれぎ)宿にて壬生通り(日光西街道)と合流して日光坊中へと至る[1]
現在、栃木県日光市から鹿沼市栃木市佐野市足利市群馬県太田市伊勢崎市高崎市に至る路線が「日光例幣使街道」または「例幣使街道」と呼ばれている。特に日光市から鹿沼市にかけての区間には日光杉並木が現存する。




↓以前は全線車で走行可だったが、今日来たら通行止め区間あり。理由は杉並木保全のため。
どこかからまた杉並木街道に入り直せるらしい。
↓杉並木の日光今市側出口。左に「追分地蔵」が祀られている。
宇都宮から今市に来る日光本街道の有名な杉並木とは全く別物。

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