2018年5月2日水曜日

〇《イザベラバード紀行(3)》5-2(水)イザベラ・バードの訪ねた日光東照宮に行き、彼女が10日間滞在した「金谷邸歴史館】を訪ね、現在の日光金谷ホテルも見物。その後一路鬼怒川沿いに会津西街道を北上し福島県に入った所で夜を過ごすことに。

今朝は6時半に目が覚めて7時半に起きた。日光東照宮の開場はどうせ早くても9時だと思い込んでいたのでダラダラと時間を潰していた。ネットで検索してみたら何と8時開場となっていた。慌てて道の駅を飛び出したのが8時半。東照宮の駐車場は早朝なのにほとんど塞がりかかっていた。
〇東照宮を参詣。イザベラ・バードは東照宮以外は見学していないと考えてここ一本に絞った。
〇「金谷(かなや)邸歴史館】を見学。イザベラは日光滞在10日間をこの家で過ごした。この家とその主人及び妹の人格と物腰をいたく気に入った。妹は実は姉だったが。金谷の亭主は言っていた。「将来外国人を相手とするホテルを開きたい」と。この時の金谷邸が今も現存していようとは思いもしなかった。金谷の主人はその言葉通りに日光で「金谷ホテル」を開業し曲折を経ながらも今も日光を代表するホテルとして君臨している。見学して意外だったのは、既に旅宿の構造で建てられていたこと。外見は民家。明治10年にイザベラがスケッチした通りの姿で残っていた。
〇神橋の畔の岡の上に建つ「日光金谷ホテル」を見てきた。この時点で足が疲労困憊。
〇この後、鬼怒川を遡上し西会津街道を北上して、イザベラが辿った山奥道を追体験。意外だったのはイザベラの旅行記に記された「小百(こびゃく)」の地名が地図上でどうしても発見できなかったのが、現地で村落として存在していたこと。現在の堂々たる大道の西会津街道は明治の初年にはルートが今市の近くでは谷一筋違っていたと見える。小百の集落は国道から大きく外れた山の中にある。イザベラはこの山道を辿って会津に抜けて行った。「小佐越」、「藤原」、「鬼怒川温泉」、「川治温泉」、「五十里(いかり)」、「三依」、「芹沢」、「中三依」、「上三依」、「横川」、「山王峠」、福島県に入って「糸沢」、「田島」等を縫って行ったが、それらは旅行記中で既に親しんだ懐かしい地名。川治温泉の手前で「龍王峡」に下りてみた。くたびれもうけの感があった。上三依の国道端に絵になる峡谷を発見して撮影。
〇小雨が降り出して夕刻6時になったので「道の駅たじま」で泊まることに。西会津街道に入って以来コンビニが見当たらなかったので夕食の手持ちはない。牛乳はたっぷりある。
〇明日は「大内宿」を経由して阿賀野川に出る。イザベラは津川(今、阿賀市)という川港から舟便を利用して新潟まで一気に下った。天気が悪くなりそう。

0 件のコメント:

コメントを投稿