2018年5月3日木曜日

〇《イザベラバード紀行(4)》5-3(木)小雨。会津国の下郷で「塔のへつり」を観光、「大内宿」を見学、坂下(ばんげ)で「鳥追観音」「大山祇神社」参拝、阿賀市津川町でイザベラがそこで乗船した川港跡を探訪・たまたま「狐の嫁入り」祭に際会。

〇朝8時に起き、8時半に出発。南会津の田島、下郷の町を経由して「塔のへつり」に到着。阿賀野川の支流が崖を削り・隆起があり・風化も作用して産みだされた奇妙な崖と岩の光景。イザベラはここは訪れていない。ボクの一存で折角だから寄ってみた。イザベラの旅は、日光を出発して鬼怒川を上流へと遡り・山王峠を越えて南会津に下り立つまでは山越え谷越えの苦難の連続だったろう。南会津に入ると阿賀野川の上流部となるが・谷は広やかで道は平坦に北を目指して続いて行く。南会津の旅は楽だったろう。
〇大内宿でイザベラは一宿している。この宿場に入るには山を越える。この宿場を抜けるには山また山を越えて北会津の大盆地に出る。大内宿も奇妙な景観美が残る。一種の奇蹟。しかしボクには不思議に思える。この宿場への往還はなかなかどうして辛いものがある。ここにこうして美しい宿場街が形成され維持された理由が釈然としない。不思議と言うしかない。
〇坂下から少し寄り道して、鳥追観音と大山祇神社を参拝してきた。いずれも二度目。わざわざ時間を割く理由があったかと言うと、ない。
〇坂下から越後街道は山道にかかり・津川の河港に辿り着くまでの間の旅程は、イザペラにとって四苦八苦の連続。馬や馬子が調達できなかった。苦難の頂点は阿賀町宝坂(ほうさか)辺り。旧越後街道に入りその現場を訪ねてきた。地形は思ったほど急峻ではない。
〇阿賀町津川では、イザベラが舟便を頼り一気に新潟まで下った・その乗船箇所=河港の地に立ちたかった。ところが地元の人でさえももうかつて存在し。日本三大河港として盛名を博した津川の河港の事を知らない。舟便は意外に早くに途絶え・河港は三世代ほど前には廃港となったと見える。何とか割出した河港の地の・それらしい跡形もない姿が如実にそう語っていた。津川の街は、今日が「狐の嫁入り」の当日だった。嫁入り行列が街中を練り歩くそうで、その準備の真っ盛りだった。道行く人たちが老いも若きも狐の面相のメイクをしている。観光客の女性までが狐の顔になっている。300円でメイクをしてくれるそう。普段こんな面相の人達が行き来していたら、この街は変と思うが、祭礼の日と知れば面白いと思えるところが面白い。女子児童と男性老人に狐メイクの写真を撮らせてもらったが、若い女性には頼む勇気が出なかった。最近美濃の落合宿で女性に目を吊り上げられたことがトラウマになっている。店のガラス戸に貼ってある・狐の嫁入り行事のポスターをじっと見ていたら、中のおばさんが、よかったらポスター上げましょうかと言ってくれた。有り難く頂戴した。好い記念になる。
〇イザベラが津川から新潟まで船で阿賀野川を下って行ったので、ボクは磐越道で一気に新潟まで高速で走った。そして新潟中央区から下道で胎内市築地(ついぢ)を目指したが、すっかり日が暮れた頃に「道の駅・豊栄(とよさか)」の案内が出たのでそこに入りこんだ。今夜はここに泊まる。

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