↓宝物殿
〇神楽殿・重文
〇幣拝殿(楼門)・重文
幣拝殿は左右に「片拝殿」を伴っている。左右片拝殿も重文らしい。右端に「御柱(おんばしら)」が見える
〇秋宮一の御柱
〇本殿屋根
↓格子越しに本殿が見える
↓片拝殿
夕暮れ近い諏訪湖。諏訪市
↓和田峠に向かっていると、何と「気落し坂」に遭遇。
↓坂のてっぺんに搬送中の御柱に見立てた大木が顔を覗かせている。
↓さらに進むと「水戸浪士の墓」の表示があった。水戸藩脱藩天狗党が中山道伝いに京都に行く道中で幕命により和田峠で迎え討った近隣諸藩軍と一戦に及んだ事績がある。
「中山道一里塚」の標識があった。この道は旧中山道に相違ない。
〇今は「新和田とんねる」が和田峠の下を一直線に貫いている。普通車620円と料金が超高い。その手前で左折して旧道のクネクネ坂を登り和田峠を目指す。
とにかくクネクネしている。雨も降り出した。ようやくのことに峠と思しき地点に着いた。トンネルがあり、それが一車線で信号式交互通行。今はバイパストンネルで通行がはけてこの峠道はボクのような変わり者しか利用しないので渋滞の惧れはないが、一昔前は厄介な峠道だったろう。ボクの推測ではこのトンネルの真上辺りを旧々和田峠道が通っていた。
↓トンネルを潜ってしばらく行くと登りも降りも「中山道」の標識が立っていた。
↓近くに客足が遠のいて廃屋となったドライブインがあり、その駐車場に「和田峠」の案内看板が立てられていた。この峠、その昔家族旅行で越えたことがある。
↓立科町に下り、ナビに載っていない道の駅を発見したので入って泊った。「女神の里・たてしな」。女神の里というのは立科町に女神湖があるからではないか。
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