2019年5月2日木曜日

〇2019-5-2(木)福岡市「香椎宮」「住吉神社」、太宰府市「水城(みずき)跡」、久留米市「水天宮」、武雄市「武雄温泉新館・楼門」(重文)「武雄、塚崎、川古(かわご)の各大楠」

〇中国道・九州道・都市高速を伝って福岡市東区の「香椎宮」へ。本殿が重文。



大都市の上空を走り回るのはどうも苦手。福岡城と櫛田神社(山笠の宮)を探訪する予定だったが外して「住吉神社」(本殿が重文)だけ参拝して、さっさと福岡市をさることに。



〇太宰府市で「水城跡」を探訪。
↓森のように成っている線が水城跡。右側の草原は外濠で博多湾側。
 水城跡が二段で築かれている。
 ↓左側の草原が内濠、大宰府政庁側
 ↓水城の東端に、水城博物資料館が造られている

 水城復元図。大きな濠は外濠で博多湾側。東西の端に官道が渡され、東西の門があった。
 ↓緑の線状の部分が水城。両端が丘陵と接続している。

これで大宰府関連では、大宰府政庁跡、観世音寺、大宰府天満宮、そして水城跡を見学したことになる。
〇久留米市に入り「水天宮」に参拝。全国水天宮の総鎮守の位置にあるのが当社だと豪語しているようなのでどんなものかと訪ねてみた。幕末に尊皇攘夷のリーダー的志士に「真木和泉」という人物がいた。長州と行動を共にし蛤御門で戦って深手を負って敗走し天王山の麓まで来て十六烈士と共に自刃することに決し山頂近くまで登った。ボクも山頂の古社の重文建造物を見学しようと天王山に登ったことがある。古社の近くに真木和泉と十六烈士を鎮魂するための霊苑が人知れず整備されていた。真木和泉は久留米藩士であり、水天宮の大宮司であり、今水天宮の境内に真木神社の祭神として鎮座していることを今日知った。古い事物を訪ねる旅を続けていると、何かと繋がりが出てくる。色々と知るところがある。

 ↓真木和泉の銅像
 ↓筑後川の畔に水天宮は立地する



〇佐賀市で佐賀城跡を探したが、カーナビやグーグルマップの該当地区に見当たらず。
〇本日のメインの武雄市に入った。「武雄温泉・新館と楼門」が重文という不思議さに釣られてやって来た。辿り着いたが何せこの連休の事とて温泉街に駐車スペースが一寸たりともない。写真を一枚も撮らず仕舞いで立ち去った。公共施設の駐車場が連休中開放されているらしいことに気が付いて、武雄市内の三大・大楠の探訪をすることに。
↓武雄神社




 武雄神社の背後の山にある「武雄の大楠」
 樹齢3000年という
道で男子高校生に尋ねたらスマホをすらすらと操作して親切に教えてくれた時の有り難さ。「塚崎の大楠」は街の中にありながら、絶対在り処は分りそうもない、岡の上の原始林の中にあった。
↓絶叫している。主幹は落雷によって挫かれた。
 樹齢2000年だそう
 ↓象の足のよう。
「川古(かわご)の大楠」は市街地を遠く遠く離れた村の中にあった。環境庁調査による全国巨樹番付は堂々の五位。因みに今回是非会おうと計画する鹿児島県姶良市の「蒲生(かもう)の大楠」は全国一位。はたしてどうか。







 ↓これが案山子であることに気付いたのは大分経ってからのこと。お茶目、精巧。
 ↓根元に捕まっている猪に気付いたのも遅れに遅れた。剥製
〇川古の大楠は「大楠公園」を整備して根方を保護して貰っている。少し離れて駐車場まで立派に用意されている。川古の大楠に面会し終わったのが夕方六時半。すっかり疲れてもう宿を探す気力が失せていた。道の駅の標示もここまで全く見られなかったことだし、今晩はこの「川古の大楠」公園用駐車場で泊めて貰うことにした。明日の早朝、温泉客が寝静まっている頃に武雄温泉に再訪して、不思議な重文の写真を撮る目論見もある。
↑疲労困憊、緊急避難です。

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