《曾良随行日記》『二本松の町も奥方のはずれに亀ガヒと云う町有り。それより右の方へ切れ、右は田、左は山際を通りて一里程行きて、供中の渡しと云いて、阿武隈を越え舟渡し有り。その向うに黒塚有り。小さき塚に杉植えて有り。又、近所に観音堂有り。大岩石たたみ上げたる所・後ろに有り。古の黒塚はこれならん。右の杉植えし所は鬼をうづめし所成らん、と別当申す。天台宗也‥‥』
↑「奥州安達ケ原黒塚の由来 奥州安達ケ原黒塚は、奈良時代の神亀3年(726)紀州熊野の僧、東光坊阿闍梨祐慶が、如意輪観音菩薩を念じ、破魔の真弓に金剛の矢をつがえ、鬼婆を射て、埋葬した所である。
平兼盛が詠んだ『みちのくの安達ケ原の黒塚に鬼こもれりと聞くはまことか』の歌をはじめ、歌舞伎、謡曲、浄瑠璃等で昔から演じられている安達ケ原の鬼婆の物語は、全国的に知られている。なお、菩提寺である観世寺には、鬼婆の住家であった奇岩怪石の岩屋が、今なお残っており、俳人正岡子規の「涼しさや聞けば昔は鬼の家」の句碑がある。」
↓黒塚
↑背後の橋は阿武隈大橋。↓川は阿武隈川。
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