↑「‥‥亀岡八幡宮司山田土佐守・千手院興祐らも俳諧を嗜み、仙台俳壇の開拓者大淀三千風に師事していた。‥‥元禄二年正月六日、「おくの細道」の旅の芭蕉と曾良は、亀岡八幡宮に参詣した。「曾良旅日記」には、『(四月)六日 天気能 。亀が岡八幡ヘ詣。城ノ追手より入。俄ニ雨降ル。茶室ヘ入、止テ帰ル』。亀岡八幡宮は「おくのほそ道」の行文には書かれなかったが、境内から遠望した金華山をはじめとする光景は、芭蕉の心に深い印象を与えた。昭和二十年七月九日の夜から十日未明にかけて、仙台はB29の焼夷攻撃をうけた。その結果、亀岡八幡宮の社殿と宝物のすべてが焼失した。往時の面影は、大鳥居と石階に残っているにすぎない。」
↓「奥の細道」碑が建っている。
↓石段登りの始まり。息が切れる
手水舎
拝殿
本殿
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