2019年8月23日金曜日

★奥の細道紀行 第82章 仙台⑥「木の下」

奥の細道》《日影ももらぬ松の林に入りて、爰(ここ)木の下と云ふとぞ。昔もかく露ふかければこそ、「みさぶらひみかさ」とはよみたれ。》
〇「木の下(きのした)」 宮城野原の南、薬師堂あたり一帯の地(仙台市木の下町)。薬師堂は次の稿で紹介。
〇「みさぶらひみかさとはよみたれ」と書いた時、芭蕉の脳裏にあったのは「古今集・東歌」《みさぶらひ/み笠と申せ/宮城野の木の下露は雨にまされり》だろう。「みさぶらひ」とは「御侍ひ」で「お供の方よ」という意味。「みかさ」は「御笠」。お供の方よ、御主人に御笠を召されよとお奨めなされよ、の意味だろう。「木の下」は当時も今も地名。
「木の下公園」

往年の「木の下」の地の一部だと思われる。
↓じゅんてい観音堂
 ↓観音堂の向かい側(木の下公園の外れ)。奥正面(真ん中)に陸奥国分寺・薬師堂(重文)が見えている。
 ↓木の下公園に立つ芭蕉句碑、右端。
 ↓あやめ草足に結ん草鞋の緒

 ↓公園内に、曾良随行日記に出てくる「大淀三千風(みちかぜ)」の供養碑も立つ。
  


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