《奥の細道》《‥其の日はくれぬ。猶、(画工加衛門は)松嶋・塩がまの所々(ところどころ)、画(え)に書きて送る。且、紺の染緒つけたる草鞋二足餞(はなむけ)す。さればこそ風流のしれもの、ここに至りて其の実を顕わす。
あやめ草足に結ばん草鞋の緒
かの画図(がと)にまかせてたどり行けば、おくの細道(★註)の山際に十符(とふ)の菅(すげ)有り。今も年々(としどし)十符の菅菰(すげごも)を調(ととの)えて国守に献ずと云えり。》
★註 「おくの細道」 塩竈街道が山際を通る所はとりわけ「細い道」になっていて「おくの細道」と(固有名詞で)呼ばれていたらしい。今は上下四車線道路になっていて交通量が多く往時の面影は全くない。「東光寺」のある辺り、寺に向かって左側付近に「おくの細道」かあったらしい。
『曾良随行日記』『七日 ‥‥夜に入り、加衛門・甚兵へ(衛)入来。冊(短)尺并(ならびに)横物一幅づゝ翁書き給う。ほし飯一袋、わらぢ二足、加衛門持参。‥‥』『八日 ‥巳の剋(午前10時)より晴れる。仙台を立つ。十符菅・壺碑を見る。』
「東光寺」碑
↓本堂。左側の山裾に「十符の菅」の産地があった。
↓本堂。左側の山裾に「十符の菅」の産地があった。
↓十符の菅の特産地を訪ねる目印は「清風荘」というアパートであることは「奥の細道」マニアが著書で述べていた。その清風荘に数年前に来たときはボロアパートだったが、今は綺麗な建物に変わっていた。その門柱に案内板が括り付けられていて風流。
↑「「十符の菅」は、中世以来「みちのくの 十符の菅薦(すげこも) 七符には 君を寝させて 三符に我が寝む」(夫木抄)等と詠まれ、その菅は網目が十筋の菅薦の材料として使用される良質なものといわれ、陸奥の歌枕として知られていた。第四代藩主伊達綱村がこの地を訪れ、「十符の菅」の名所が荒廃しないよう菅守を設け保護し栽培することを家臣及び村中の者に命じた。‥‥」
↑赤丸の地域が、藩主が保護した十符菅の特産地。その右の台地に「東光寺」がある。
最奥の民家の親父さんが出てきたので「十符の菅」を訪ねてくる人がいますかと問うと、それがいるそう。そして坂の途中の青い屋根の家を指して、あの家の辺りで十符の菅を植えていたそうとまで話した。話が出来過ぎてきたので青い屋根の家の写真を撮って↓戻って来た。
〇十符の菅の種を絶やさぬため今も「仙台市岩切市民センター」で栽培が続けられている。栽培地に赴いて現地を撮影しブログ掲載している人がいる。
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