2019年12月21日土曜日

★奥の細道紀行 第217章 弥彦村「西正寺・弘智法印像(即身仏)」

曾良随行日記』 『○四日 快晴。風、三日同風也。辰ノ上刻、弥彦ヲ立。 弘智法印像為拝。峠 より右ヘ半道(はんみち)計(ばかり)行。谷ノ内、森有、堂有、像有。二三町行テ、最正寺ト云所ヲ、ノヅミ(野積)ト云浜へ出テ、十四五丁、寺泊ノ方ヘ来リテ、左ノ谷間ヲ通リテ、国上へ行道有。荒井ト云塩浜ヨリ壱リ計有。寺泊ノ方ヨリハ 、ワタベト云所ヘ出テ行也。寺泊リノ後也。壱リ有。同晩、申ノ上刻、出雲崎ニ着、宿ス。夜中、雨強降。』
↓この地図で、弘智法印像のある西正寺(曾良随行日記に出てくる「最正寺」だろう)を検分。像を拝する為芭蕉が越えたというのは、今は弥彦山スカイラインになっている登山道の途中の猿ヶ馬場だと確信。
↓スカイラインを登って行くと途中で左折する案内板が出現。
↓左折すると、曾良随行日記の「野積という浜に出て」という記述に合致。
↓傍に立っている案内板。「日本最古の即身仏」とは弘智法印像に違いない。
↓峠からは道は下りになる。かなり下ってから案内板が見えた。
「右ヘ半道計行。谷ノ内、森有、堂有、像有」というのと合致。半道は半里だろうから「右折500m」というのはちと短すぎるが、昔の徒歩道と今の新規の車道は多少ルート・距離が違っても仕方あるまい。
「越後の名刹
日本最古の即身仏
水子供養の寺
 西正寺
右折500m→」
↓「弘智法印霊場」
↓「西正寺と弘智法印即身仏
西正寺は天平5年(733)に僧行基が開いた真言宗智山派の古刹である。古くは親鸞聖人も止錫した(恵信尼消息)と伝えられ、樹齢800年の大銀杏は寺泊町文化財に指定されている。広い境内の一角に建つ弘智堂には、貞治2年(1363)に入定した弘智法印のミイラ仏が安置されている。弘智法印は下総国匝瑳(そうさ)村(八日市場市)の僧で、各地での修行を経てこの地で即身仏になったという。」
〇西正寺  ↓宝物殿


 ↓「身替り御木像 弘智法印即身佛」
 ↓弘智法印のミイラに似せた木彫像


 ↓寂静堂(本堂だろう)


 ↑本尊・愛染明王は上杉謙信公の寄進にかかる。
 ↓弘智法印の立像
 ↓阿弥陀堂


 ↓秘仏阿弥陀仏像の代わりに写真を展示してくれている。こういう配慮こそ有難い。
 ↓阿弥陀堂の縁台から見た弘智法印立像
 ↓大銀杏


 〇弘智法印の即身成仏ミイラ仏が安置された弘智堂
↓ 500円の拝観料で定時に参拝できる。
〇両手指は組み合わされている。手指は骨と皮だけ。
〇顔面はもっと俯いている。


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